私の感情

元うつ病の浪費家が、ミニマリストを目指す物語。思考や感情がメイン。

感情日記4 ~ドライフラワー~

都会に行った私だが、結果的に行って良かったのである。しかし、しんどいなぁと思うこともあるのだった。

 

やはりかなり人が多かった。

目的地に向かっている際、私はずっと涙をこらえていた。
友達や恋人と楽しそうに歩いている人、仕事なのかスーツで電話をしている人、とても個性的でおしゃれな人。そうゆう人達とすれ違う度、ああ私は一人なんだと感じていた。私には何もない。今日何も出来ていないのに・・・。と。

もうここまでくるとさすがにうざい。人としてかなりめんどくさい奴だ。悲劇のヒロインにでもなったつもりかよ。という感じだ。というか前々からウザい。

 

そして目的を済ませた帰り道。
私の後ろから早歩きで歩いていたおじさんが、前から歩いて来たお姉さんに少しぶつかった。そしてお姉さんが振り返ってそのおじさんを見て、凄く腹立たしそうな顔をした。

そんな一瞬の出来事。自分には全く関係ない出来事。そうゆう事でも私はしんどくなってしまう。多分私は感じやすいのだ。感じやすいと言うと感性があると思われるかもしれないが、そうでは無い。特に人のネガティブな表情や発言、声のトーンに敏感に反応してしまう。

この敏感にというのは、全人類と比べたわけでは無いので、普通のことかもしれない。ごく少ない私の周りの人間と比べてということだけであるから、もっと私の方が敏感やし!とかいう人もいるかもしれない。だが別に私は敏感勝負をしたいわけでは無い。しかし、敏感かはわからないが、多分鈍感では無い。

この一瞬の出来事で、あぁ都会だなぁ。と感じた。そして人って嫌な生き物だと思った。

 

この後、帰り道にある百貨店で期間限定の催事をやっていることを思い出し、行こうとした。しかし、ここでも葛藤していた。

百貨店なんかもっと人混みだ。早く帰りたい気持ちもある。行ったところで何になる?などと色々考えたが、この催事はもうすぐ終わってしまうので、行くんだったら今日しか無いということ。そして、せっかく来たのに行かないのは勿体ないかと思い、人混みの中に足を踏み入れた。

百貨店の入り口はかなり混んでいた。でもその催事場にはそこまで人が居なかった。そして、その階に降りた瞬間、別の世界に来たみたいだった。その時点で私は「来て良かった!」そう思ったのである。

 

アート作品を今描いている人がまず居て、お店ごとにそのお店にあった雰囲気のスペースが作られていて、見て回るだけで凄くワクワクした。そしてお店ごとにテーマや作った人の想いがあり、とても素晴らしいイベントだと感じた。

 

そこで私はドライフラワーを購入した。

 

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なかなか、びっくりするような紙に包まれているが、この文言とは逆で、「花を捨てるのは常識」ということを覆したいと説明された。少しくずれていたり、傷んでいる花等は店頭に並ばずに捨てられるそうだ。そのような花を捨てずに、例えばドライフラワーにしたり、花のエキスを抽出して布を染めてみたり、香料として使用してみたり等。様々な使用方法を提示している。

私はこの時、あぁ都会だなぁ。と感じた。そしてこのような考えが生まれて、それを発信できる場を作ることが出来る。人は凄いと思った。

 

都会は嫌な部分もあるが、素晴らしい部分もあるのだと改めて感じた。
このような催事が開かれなければ、そして行っていなければ、そのような事に気づかなかっただろう。私は花が捨てられることに対して、何か考えたことも無かった。

 

結果的に、私は出掛けて良かったなと思った。

そして、一つ前の日記に書いた頭に霧がかかったような感じが少し晴れていることに気づいた。これは私にとって大きな変化である。

 

正直、昼過ぎまでは今日は良い1日になるはずもない状態だった。しかし、この催事に行ったお陰で、今日は良い1日だったなと思えるようになった。

それはとても素晴らしいことなのである。

ほんの少しのきっかけで良い日にもなれば悪い日になる。そのきっかけを作るのは「自分」だ。

 

ウザいことを言ってしまった。

ではまた。