私の感情

元うつ病の浪費家が、ミニマリストを目指す物語。思考や感情がメイン。

うつ病になった話2 〜母の偉大さ〜

うつ病になったと診断されて、まず母に電話した。実家に帰りたいと電話した。
そしたら母は旅行中だった。絶望だった。この時私の拠り所は母しか無かった。

でも母は、「今から帰るわ。」と言い、今日の夜までには実家に帰って来てくれた。後から散々「せっかく旅行行ってたのに急に帰ることなって〜」と言われたが、その時は何も言わずに私を優先してくれた。

実家に帰ってからも、母は今後の予定を全てキャンセルしてくれた。しかも、「あんたを理由に休めるわ〜」という感じだったので、私も罪悪感なく実家に居座れた。

 

治療のための病院に毎回付き添ってくれたり、ずっと家に居るのは良く無いかもと、たまに散歩に連れ出してくれたり。使っていなかった私の部屋の古いエアコンを新しくしてくれたり。勿論、毎食ご飯が出てくることはとてもありがたい。

母なりに、うつ病に良い?と言われる食事を考えて作ってくれてたみたい。

そもそも、母は「うつ病」とは無縁の性格であり、「うつ病」になる人の気持ちなど全く理解できないタイプである。

まさか自分の娘がそのようなことになるなんて!と最初は疑いしか無かった。そんなわけ無いと。「うつ病」なんか気の持ちようなんだと言われた。まあ昔の人間である。

 

しかし、うつ病になったばかりの私は、まぁ頻繁に過呼吸になるわ、ずっと泣いてるわ、動けないわ、まともに会話も出来ないわで、さすがにそんな私を見ていると、マジなんだな・・・。という感じで徐々に信じていった。

そこから、母は「うつ病」についての本を買ってみたり、ネットで調べてみたりして理解してくれようとした。まぁ自分には無縁すぎて、最後まで理解出来ないと言われたが・・・。

でもその過程で、母は自分の育て方が悪かったのではと思い悩んだみたいだ。私はいわゆる「うつ病」になりやすい性格のど真ん中をいっている。いつなってもおかしくない感じだった。

そのような性格に育ってしまったのは私のせいなのでは。と何度か言われた。意外だった。母が何か悩んだりネガティブな事を言っているのを見たことが無い。その母が少し悩んでいるように見えた。まぁすぐケロっとしいたが(笑)

でも娘が「うつ病」になるのはショックだったのだろう。

 

実家に帰ってからは、本当に何もせずストレスフリーのはずだった。しかし、職場から度々かかってくる、心配の電話や、いつから復帰できそう?などという電話が本当にしんどかった。ちょっとまだ無理そうです・・・。という度心苦しく、申し訳無いから仕事に行こうともしたが、仕事に行こうと思うだけで震えが止まらず、動悸で苦しく動けなくなってしまい、どうしても行けなかったのだ。本当に迷惑をかけて申し訳無かった。

それ以外は、ほとんどベッドの上で過ごした。立つと震えや動悸でまともに歩けなかったからだ。トイレ等も床を這うようにして行っていた。スマホを見るのもしんどかったので、ほとんどの時間漫画を読んでいた。いい意味で心を動かされない漫画。特に子供のころ大好きだった「あたしンち」をずっと読んでいた。「あたしンち」にはだいぶ助けられた。

しかし、それでも症状はあまり改善しなかった。もちろん、最初の頃よりかはマシにはなっていたと思う。でも通常の自分には程遠い状態だった。

 

だが、急に症状が良くなる出来事がやってくる。私って「うつ病」だったのか?と疑うくらい一気に改善するのだった。

 

その話はまたいつか。