感情日記10 ~ソラニン~
私はアジカンの大ファンである。
中学生~高校生に好きになって、この歳まで好きでい続けているアーティストはアジカンくらいである。
アジカンのTHE FIRST TAKEが7/23に公開された。
東京オリンピックの開会式の日ということもあり、なんか私は感動していた。
もちろん、「ソラニン」の映画は当時観に行った。漫画も読んだ。
当時高校生だった私は、なんとなく悲しい・切ない雰囲気の映画に普通に感動したが、ふわっとした感情でしか観ていなかったと思う。
「ソラニン」はアジカンの曲としても好きだし、漫画の中で出てくる歌詞だからその話の内容とリンクしていて、なんというかとても感慨深い感じ?で、心情にグッとくるというか。とにかく、泣ける。ライブで聴くと必ず泣いてしまう。ごっちの声やメロディもなんともマッチしている。
まぁ簡単に言うと大好きである。これはもちろんファンだからというのもあるけど、アジカンのファンじゃない人も「ソラニン」は知っていたり、「ソラニン」は好きという人は多いんだと思う。
そんなメジャーな「ソラニン」だし、今更「ソラニン」について書くのはどうかと思ったが、どうしても「ソラニン」への想いが溢れだしてしまったので、アウトプットしたい。こんな当たり前のこと、今更言われなくてもわかってるわ!というようなことばかりだと思うので、苦手な人は退散してほしい。
まず、歌詞が本当すごいと思う。これはごっちでは無く、浅野さんが書いたものだが、この年齢になって改めて心打たれる。
私は言葉が苦手だ。なので、言葉の解釈は苦手だ。前もっていっておく。だから、私の解釈もふわっとしているが、ほんとすみませんって感じ。
最初、
思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か
ほんの少しの未来は見えたのに
さよならなんだ
で始まる。
なんとなく、悲しい感じが伝わってくる。「ソラニン」の歌詞には「さよなら」という言葉が結構出てくる。まぁこれは漫画の内容とリンクさせているのかもしれないが。漫画の内容抜きにしても、「さよなら」の意味を考えさせられるな~と思う。
で、最初なんだか悲しい感じの「さよなら」なのだが、一番最後の歌詞が
さよならそれもいいさ
どこかで元気でやれよ
僕もどーにかやるさ
そうするよ
で終わる。
いきなり最後にいくが、この最後の「さよなら」は私的には前向きな「さよなら」に感じる。なんか、「さよなら」ってネガティブな側面だけじゃなくて、ポジティブに捉えることも出来るよね。と言われている感じがする。
でもこれは、投げやりな感じにも聞えるし、悲しい・辛いけど、むりやり前向きに捉えようとしている感じにも聞えたりもして、より「さよなら」の悲しさを助長している感じにも聞こえることもあって、「ソラニン」を聴いている時の自分の心情や環境によって感じ方が変わってきたりもするから不思議だ。
この歌詞と、ごっちの声やメロディも重なり、何とも言えない気持ちになるのだ。
途中の歌詞(Aメロ?)
昔 住んでた小さな部屋は
今は他人が住んでんだ
君に言われた ひどい言葉も
無駄な気がした毎日も
あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ
ここの歌詞は、まぁ普通に感じ取れば、些細なことも今思うと幸せだったよね。という感じかなと思う。当時10代だった私は、あまりこの感覚はわからなかった。わかるけど、共感は出来なかったって感じかな。
でも今大人になってやっと色々思うことがあるなぁ。今でもそうだが、やはり今ある現状の幸せを感じとれるってなかなか難しい。。。歌詞にあるように、今こうしてるのって意味あるの?とか、こんなに何にもしてなくて大丈夫か?とか思う時もある。でも、ふと振り返った時に、そんな些細な事を思い出して、そうやって思っていたことも必要だったんだとか、こんなこともあったな~なんて幸せを感じたりする。みたいな感じだと思っている。
この歳になると、なんだか過去のそうゆう思い出がすごくキラキラして見えることがあるんだよなぁ~。この時こうしていればっている後悔が今出てきたりとか。色々思ったりすることがあるんだよなぁ。
サビは、
たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ
ここは正直一番よくわからない。当時はもっとよくわからなかった。今この歌詞を見て感じるのは、「ゆるい幸せがだらっと続いた」状況は、私だったら不安になる。いいのかこれで?こんな感じの幸せでいいのか?とか、もっと大きな幸せを求めたいとか、その時はゆるすぎて幸せだと感じれていなくて、もっと何かしなきゃ!と思っていたりだとか。そういった焦りや変化を求めることが「悪い種が芽をだして」かなと解釈していて、そして何か変わろうとする。この「ゆるい幸せ」から良い意味でも悪い意味でも抜け出そうとする。それが「さよならなんだ」って意味かなって。
そして次の歌詞(Bメロというのか?ちがう?)
寒い冬の冷えた缶コーヒーと
虹色の長いマフラーと
小走りで路地裏を抜けて
思い出してみる
ここは、本当にささいな幸せの風景を描いているのかなって。「寒い冬の冷えた缶コーヒー」だけだと、なんだか寂しいような感じがするのに、その後の「虹色の長いマフラー」ですごく温かい感じがあるんだよなぁ。対比がすごいなぁって思う。
簡単に言えば、「寒い冬のマフラー」だと思うんだが、寒い冬に冷えた缶コーヒーがくることでより寒い感じがするし、マフラーに虹色と長いがくることでより暖かい感じがする。
そのあとの小走りってのが、少しだけ急いだり焦っている感じがある。そんな些細な幸せから抜けたのかなって。抜け出してみてから、あっと気づいたかのように思い出したのかなって。
この後はまたサビがきて終了だ。
こんな風に歌詞について何か考えたことがあまり無いので、長くなってしまったし、言いたいことがまとまっていない感じはあるが・・・。解釈は人それぞれだし、自分の置かれている環境によっても、感じ方が時々で変わってくるから、やっぱり言葉って面白いよね。
ではまた。