読書感想2 ~コンビニ人間~
第155回芥川賞受賞作の、村田紗耶香さんの超超超有名な本である。
これも今更である(笑)
そういえば、村田紗耶香さんの世界観を浮かび上がらせる展覧会が8/20より東京で開催されているらしい。このタイミングで読んだのは本当にたまたま。にしてもいいなぁ東京。
まず、私は約4年間コンビニでバイトしていたので、「コンビニ人間」で書かれている様々なコンビニ内の描写は、わかるー!わかるー!の連続で、普通に面白い。特に、レジに人が取られてどうしようも無い。という描写でゴルフの宅急便を受付してる。っていうのは、ほんとそれー!という感じだった。
主人公は昼勤のアルバイトである。私は夕勤メインだが、朝・昼・夜勤も全て経験があるから、それぞれの仕事の違いとかも出てて、そうだよね~ってなる。
でも普通に、ここのコンビニすげーちゃんとしたコンビニだなって感じ。
主人公はコンビニ内の繊細な空気も感じ取れる。なのに、プライベートになると、空気が読めない感じの人になってしまう。どうにか空気を読んで普通の人のように取り繕うけど、周りは多分気づいている。なんか違うと。で、その周りが引いている感じとかは感じ取れる。
で、その主人公がまぁ色々あって男と一緒に暮らすことになるのだが、そのことを周りの人に伝えたことから世界が一転してしまう。みんなから、私が今まで普通じゃないと思われてたんだということにやっと気づく。そして、周りの目線や会話が今までと違ってくる。特に妹からの一言はきつかった・・・。
「お姉ちゃんはもう治らないの?」って泣き出す。今まで、お姉ちゃんはそのままでいいよ。って唯一肯定してくれていたのに、その妹が普通の姉を求めていたことにそこで気づく。なんかとても苦しかった。でもとてもリアルだった。
唯一リアリティが無いと思うのは、その一緒に住む「白羽」という男。こんなやつ、実際いるのかもしれないが、私自身出会ったことが無い。そしてめちゃくちゃイラっとする奴だ。だけど、たまに本質をついてくるような事を言う。なので、なんだか複雑な気持ちになる。凄く嫌な奴なのに、なんだか嫌いになれない。でも嫌いだ。という感じ。
最後は、ハッピーエンドのような、そうでもないような終わり方で、不思議な気持ちにさせられる物語だった。
結果、面白かった。
凄く短い物語なので、1日で読めた。しかし、短い割にはなんだか凄く考えさせられる話だった。
「多様性」と言われているのに、「普通」を求められる。
これは2018年に出版された本だが、今2021年になってもそうだと思う。
表面上は「多様性」かもしれないが、根っこは全然「多様性」じゃない。
特に、教育に関してはやはりそう。でも教育を変えるなんてかなり難しいことは分かっている。なので、「多様性」じゃないからダメだ!とか言っているわけでは無い。
でも、「多様性」を求めつつ「普通」も求めている感じがしてしんどいと感じる事がある。こっちでは多様性。こっちでは普通。みたいな。使い分けるのがしんどい。
とにかく、この本も是非読むべき作品だと思った。
ではまた。
感情日記11 〜なりたかった職業なのに〜
私は薬剤師だ。
正確に言うと、薬剤師としての職業をメインとしてるわけではない。薬学に関わる仕事をしていて、アルバイトで薬剤師もしている。元々薬剤師として働いていたので、臨床現場に関わっていないと色々忘れてしまうのが怖くてバイトもしている。
薬剤師というと、凄いね!とか、お金に困らないね!とか、色々良い面を周りから言われる事が多い。
でも私は、この資格があるからこその不自由さがとてもしんどい。今とてもしんどい。
こんなことを言うと、じゃあ薬剤師にならなかったら良かったんじゃない?って思われるかもしれないが、私は小学生の頃から薬剤師になるのが夢だった。
なりたかった。そして、実際なってみると、その仕事は自分に向いてなかった。
これは結構自分に絶望感を与えてしまった。なりたかった職業になれたのに、それが向いてないというのは結構ショックだ。なんなら、まだ受け入れられていない。
さらに苦しめたのが、自分では向いてないと思ってるのに、周りからは向いていると言われることだった。
確かに、自分で言うのはなんだが、患者さんからは好かれる事が多い。あと細かいところも気がつく。まぁそれだけで薬剤師という仕事は向いてると言われるかもしれない。
じゃあ向いてるじゃん!って感じかもしれないし、それで何度も私は薬剤師に向いていると言い聞かせた。でも私自身、薬剤師としての自分が嫌だ。本当に嫌になる。
これは医療に関わる職業全般だが、ミスが命に関わるっていうのは、かなり精神的に堪える。
だからこその給料だと思うし、そんな事理解してこの職業に就いた。そんなの勿論わかってる。
でも、わかってるっていうのと、実際そう思って毎日働くのは違う。それが思ってるより精神的な負担になるって知ったのは、働いてからだ。
人間だから勿論ミスする。そう、ミスしたくてしてるわけじゃない。毎日ミスしないように細心の注意を払ってる。でもどーしてもミスしてしまう事がやはりある。自分でも信じられない。ミスっていっても、普通の会社だったら、えっそれくらい?っていう小さなミスだ。
でも医療の世界では、小さなミスはとんでもなく大きなミスだったりする。
本当に精神が削られる。
そして、ミスしないように毎日気をつけてるのに、自分の気づかないところで自分がミスしてることを知ると、自分が信じられなくなる。
全て間違ってると思って確認せよ。と教えられるため、他人も信用してない。
その上自分も信じられなくなると、何も信じられなくなってしまい、全て間違ってるんじゃないかという不安がずーっとつきまとうようになった。休みの日も、何か仕事でミスしている電話がくるのでは?とか、昨日何かミスしてないかな・・・とか、仕事のことばかり考えてしまい、休みなのにずっと緊張状態にあるような感じになってしまった。
なので、薬剤師をしてる頃の私はほぼずっと体調を崩していたと思う。(笑)
ストレスが体に出やすい。
こんなに不安ばかりの自分は、なんせ自身が無かった。自分が合っていたのに、他の人にこうだよと言われて、それを信じてしまって結果間違ったこともある。
自信はありすぎてもダメだが、勿論無さ過ぎてもだめだ。
薬剤師もそうだが、関わることの多い医師も看護師もプライドが高い。資格を持っている人はみんなそうなのかな?
勿論プライドが高くない人もいる。まぁでもプライドがかなり高い人が多い。私もプライドが高いと思う。
だからこそ、そうゆう自信がある人に何かを言われて、自分が間違っているのか?と思うことに傷ついてきた。そう傷つけられることが嫌だった。勿論傷つけようとして言ってきてる人はいないと思うが。
というか、プライドが高かったり、自信がないと、このような医療に関わる仕事はやっていけないと思う。看護師さんは本当に怖い。でもそれくらいじゃないとやっていけない。
私はその域までいけなかった。もしかしたら、今後そうなれるかもしれないが、今の私には無理だった。
今、アルバイトをしているのは、まだ諦めきれないからなのかもしれない。薬剤師には向いていないということを認めれてないのかもしれない。
また、薬剤師という資格が無いと、自分は何の魅力も無いのではとも思う。資格があるから仕事が出来ているのであって、ただ一人の社会人としてだったら、普通の会社員として雇ってくれないのではないか。資格以外に私の長所ってあるの?と考えるようになり、私を薬剤師としてでは無く、一人の社会人としての能力を見てほしいと思うようになった。
だけど、今している仕事が向いているのかと言われれば、それはわからない。向いていないことも多い。
本当に自分に合っている仕事とは何だろう?その答えを死ぬまで見つけれないかもしれない。
ではまた。
読書感想1 ~きいろいゾウ~
私は本を読むのが好きだが、苦手だ。
なぜなら、本の世界に入り込んでしまってしまい、現実に戻ってこれなくなるからだ。
なので、読む前は相当な覚悟がいる。だから、読みたい本は色々あるのに、なかなか読み始めれない。
あと、普通に読むのに時間がかかる。普通に読むの遅い(笑)
なので本好きな癖に、全然読まないから、本当に?って感じになる。残念無念って感じ。
個人的に、この夏は本を読もう!と意気込んで、色々買った。
西加奈子さん多め(笑)
色んな本を読むというよりかは、1つの本が良い!と思ったら、その本の作家さんの本を一通り買ってしまう。作家さんが好きになってしまう。
というわけで、「サラバ!」を読んで、一気に西加奈子さんのファンになってしまったためである。
というわけで、西加奈子さんの「きいろいゾウ」を読みました。コロナワクチン2回目接種後の身体が動けない時にだいぶお世話になりました。
「きいろいゾウ」は有名な本なので、今更感があるが、、、というか買った本全て有名な本ばかりだなぁ。有名な本=面白いに決まっている!のだ。
前置きが長くなったが、読書感想。
私はこの本に出会えて良かった。
感情や自然の表現の仕方が、面白くて、でも繊細でとても好き。名前も面白い。
「きいろいゾウ」という絵本のストーリーが各章の冒頭に書かれてて、その「きいろいゾウ」の絵本のストーリーも物語の中で重要になってきたりする。そうゆう書き方が面白いな~と思った。
これは夫婦の愛の物語だが、私は恋愛小説というものが苦手だ。なんかこしょばくなるのだ。でもこの本は恋愛小説とかでは無いとは思うのだけど、「夫婦の愛の物語」だけ聞くと私の苦手な分野になるが、この本は読めた。正直すごく愛溢れている本なんだけど、良い感じにくだけていて、とても読みやすい。
そう、凄く読みやすいのだ!
ツマとムコさんの夫婦の物語だが、その二人の周りに出てくる人達全員がとても魅力的だ。全員が魅力的って凄いと思う。そして、その二人の周りにいる夫婦の物語もとても素敵だ。色んな夫婦が出てくるが、結果的に皆愛し合っていて、とてもほっこりする。
そう、ほっこりする本だ。
でも、後半ムコさんが東京に行くくだりは、本当に苦しくなる。なんか色んな角度で辛くて、現実でも元気が無くて旦那に心配されるくらいだった。「もう!毎回そんな感じになるんやったら、本読むの向いてない!やめろよ!」と言われるが、まぁ読むよね。
そして、この本は「月」がとてもキーワードだ。月の満ち欠けが大事になってくる。普段「月」の形など気にしたことが無い私だが、この本のおかげで、私も月の満ち欠けを気にしてみようかなと思えた。
この本の中で好きな言葉、文章は沢山あるが、いくつかピックアップしたいと思う。
「彼は言いました。あなたの夫は、言いました。私は妻を愛している。と。そんな美しい言葉が、当たり前で、あふれていて、そしてかけねのない言葉がこの世にあることを、僕は忘れていたような気がします。それは、水道の水のように、蛇口をひねったらいくらでも出てくる言葉で、そして夏の日の陽炎のように、ぼんやりと頼りないものです。でもそれは、僕らが堂々とこの世界にいられる、日が暮れたら眠り、そして起き続けるための、とても大きな感情だったのだろうと思います。」
なんか、詩的すぎるよねこれ?尊い・・・。表現が尊すぎる。こんな風に思ったことが無い。愛しているという感情をこんな風に表現出来ることが、もうなんか羨ましすぎて、うわ~~~って思ってしまい、この文章読んだ後、数分フリーズしてた。
ていうか、感想の言語力無さすぎて悲しい・・・。
「外は阿呆のように明るくて、馬鹿みたいに青い空が、まぬけな顔でそこいら中を青に染めている。庭の草や木はその青に負けまいと、自慢の緑の体を大きく伸ばして、少しでも太陽に近づきたい、そして風のリズムに乗り遅れまいとして、ちょっと緊張している。」
めっちゃかわいい表現~!って思った。私の語彙力が無くて、自分の感情がうまく表現出来なくて悔しい。こんな感じで自然を表現してる文章が沢山ある。詩を読んでるんだっけ?って思う感じもある。擬音とかも沢山出てきて、
物語も面白いが、言葉の言い回しも面白いので、一気に読めちゃう。本当に読みやすい。
この夏どれくらい本がよめるかな~~
ではまた。
ミニマリストへの道2 ~1か月後の現状~
ミニマリストを目指して早1か月。
正直、何かを捨てたとか、部屋が殺風景になったとかそうゆうのは一切ない・・・。
しかし、「本当に欲しい物しか買わない」ということは継続出来ている。
1か月前までは、毎月何か宅配が届いていた。主に服かコスメ。まだ1か月だけではあるが、この1か月は、何か無くなったとか以外は何も買っていない。
いや、正直本とかは買った。でも、少しでもお金を使わないようにしようと思って、ブックオフとか古本市で買った・・・。旦那にも許可をもらったので、まぁいいとしよう・・・。
それだけ?という感じかもしれないが、浪費家の私としては、その心情の変化がとても進歩だと思っている。
特に、服やコスメはSNSとかで話題になっていたり、見てかわいい!と思ったものは全て欲しくなっていた。
だが、それが一切無くなった。
SNSは見るが、まぁ別に似たようなもの持ってるしな~と何も思わなくなった。
なぜそう思えるようになったのか?しかも急に(笑)
前回の日記にも書いたが、ただ本当にいるっけ?と考えただけ。
あと、買い物だけがストレス発散だと思っていたのだが、私が本当に好きなものって何だっけ?と改めて考えた。もちろん買い物は好きだ。それは変わらない。
でも、改めてちゃんと好きなものを買おうと思った。
例えば、服やコスメ等の最新の情報をチェックするためにSNSの色んなブランドをフォローしていたりしたが、それを見る時間が減ったことによって、スマホを見る時間が減った気がする。
これが正直一番大きい。ちゃんと自分の必要な時間が出来た気がする。なんか、必要のないことに時間を使っていたのかもしれないと思った。もちろん、最新情報を見ることがダメとかそういうことでは無い。
ただ、今の自分にそれが必要では無いというだけだ。
あと、ジムと美容皮膚科に通っているというのも大きい。そこには金かかるやん!という感じだが。そうだ。金がかかる。
ミニマリスト=節約というわけでは無い。と思っている。
ただ、必要なものにはお金をかけて、必要じゃないものにお金をかけないというだけ。まぁそんな当たり前のことが出来ていなかったわけ。
ジムと美容皮膚科に通って1年くらいになるが、ようやく、良い感じの筋肉がついてきたのと、肌も安定してきた。
なので、単純にシンプルな服でもいいやと思えるようになったのと、肌も高機能なファンデとか使わなくても別にいいやと思えるようになった。
逆にお金をかけるようになったのは、食事や家具・家電。あとはSNSを見る代わりに本を読むようにしている。
私は本当に食事に興味が無かった。いや、今でもそんなに興味は無いが・・・。お腹が膨れればいい。という感じ。生きるために食う。って感じ。
でも、ジムにいって、まぁまぁ筋肉がついてきたら、もうここからはどれだけ食事で筋肉を良くするかだと言われた。
正直、まじか・・・。興味無いこと頑張らなきゃいけないんだ・・・。と思った。
しかも、オーガニックとかそうゆう食材って高い。普通の倍くらいの値段する。興味無いものに高いお金を払うのは、本当に嫌だ・・・。
でも、まぁ年齢も年齢だし、自分を着飾るコスメや服よりも体の方が大事だよな。と思い、今は食にお金をかけるようになった。
まぁだから実質かかるお金の金額はそれほど減っていない。でもこれがずっと続けば、確実に節約になる。
いつまで続くかが問題だなぁ・・・。
ではまた。
ワクチン2回目を接種しました。
8/6(金)の12時にコロナワクチン2回目の接種を受けた。記録用。
1回目の時は、倦怠感が1週間くらい続いたこともあり、打った日の夜から実家に帰ることにした。体調悪いなか一人でいるのは、心が辛いので・・・。
当日、20時頃に夕食を食べたが、特になんともなく、あれ?まだこないのか?と思っていて、ふふ~んとオリンピックを見ながらだらだら過ごしていた。
よし、寝ようかな~と思った22時~23時頃に、急に身体の節々が痛くなってきた。
あ、これきたか?と思って熱を測ったが、37度。あれ?なんか皆が言ってたほど熱上がらないのかな?と思っていたら、そこからどんどん上がっていき、30分くらいの間に38.5度に。
うお~・・・これはしんどい!!!
真夏なのに、悪寒が止まらない。クーラーつけて無いのに寒い!布団を2重にして、湯たんぽ入れて・・・。それでも寒い。なのに、首から上は凄く熱いので、冷えピタと氷枕をセット。
体温調節が意味わからんことになってる。まぁ熱高いときはそうだよね。という感じだが。
しんどすぎて眠れそうにないので、解熱剤を飲む。1時間ほどして少しラクになってきたのか、いつのまにか寝てた。
翌日。朝は、37.5度くらいまで下がっていた。あれ?一時的なもので、もう下がってきた?こんなもんか~とか思っていた。身体の節々が痛かったり、だるかったりとかはあったが、朝食も普通に食べた。
が、なんかしんどいな~・・・と思っていて、ベッドに横になり、少し眠って起きたら、38.5度まで熱が上がっていて、びっくり。
動くのもやっとなほどしんどく、昼食はほんの少ししか口にできず、とりあえず解熱剤を飲んで横になる。寝てることしかできず・・・。
寝て起きてを繰り返し、いつの間にか夕食の時間になるが、まだ熱は高く、身体もしんどく、スープや豆腐等を食べて終了。
解熱剤を飲み横になる。
だが、散々寝たので、全然眠れず、ぼーっとしていた。
そこから数時間たって解熱剤が効いてきたのか、なんだか身体が動けるような感じがあり、急にお腹も減ってきて、24時頃にうどんを食べる。
その次の日。
まぁ今日なのだが、朝から熱はもう無かった。無かったというと微妙だが、37度くらいの微熱だけで、身体の節々の痛み等は無かった。
ただ、頭痛が1日中続いている。あと、モデルナアームなのか、腕が赤く腫れて痛い。
昨日に比べれば、かなりマシでHappy!という感じだが、明日には頭痛は治っていてほしいな~と願う。腕はもう少しかかりそうな感じだ。
今日でオリンピック終わりだ。
沢山の感動をありがとう。こんな大変な中、開催してくれた方々本当にお疲れ様でした。
感情日記10 ~ソラニン~
私はアジカンの大ファンである。
中学生~高校生に好きになって、この歳まで好きでい続けているアーティストはアジカンくらいである。
アジカンのTHE FIRST TAKEが7/23に公開された。
東京オリンピックの開会式の日ということもあり、なんか私は感動していた。
もちろん、「ソラニン」の映画は当時観に行った。漫画も読んだ。
当時高校生だった私は、なんとなく悲しい・切ない雰囲気の映画に普通に感動したが、ふわっとした感情でしか観ていなかったと思う。
「ソラニン」はアジカンの曲としても好きだし、漫画の中で出てくる歌詞だからその話の内容とリンクしていて、なんというかとても感慨深い感じ?で、心情にグッとくるというか。とにかく、泣ける。ライブで聴くと必ず泣いてしまう。ごっちの声やメロディもなんともマッチしている。
まぁ簡単に言うと大好きである。これはもちろんファンだからというのもあるけど、アジカンのファンじゃない人も「ソラニン」は知っていたり、「ソラニン」は好きという人は多いんだと思う。
そんなメジャーな「ソラニン」だし、今更「ソラニン」について書くのはどうかと思ったが、どうしても「ソラニン」への想いが溢れだしてしまったので、アウトプットしたい。こんな当たり前のこと、今更言われなくてもわかってるわ!というようなことばかりだと思うので、苦手な人は退散してほしい。
まず、歌詞が本当すごいと思う。これはごっちでは無く、浅野さんが書いたものだが、この年齢になって改めて心打たれる。
私は言葉が苦手だ。なので、言葉の解釈は苦手だ。前もっていっておく。だから、私の解釈もふわっとしているが、ほんとすみませんって感じ。
最初、
思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か
ほんの少しの未来は見えたのに
さよならなんだ
で始まる。
なんとなく、悲しい感じが伝わってくる。「ソラニン」の歌詞には「さよなら」という言葉が結構出てくる。まぁこれは漫画の内容とリンクさせているのかもしれないが。漫画の内容抜きにしても、「さよなら」の意味を考えさせられるな~と思う。
で、最初なんだか悲しい感じの「さよなら」なのだが、一番最後の歌詞が
さよならそれもいいさ
どこかで元気でやれよ
僕もどーにかやるさ
そうするよ
で終わる。
いきなり最後にいくが、この最後の「さよなら」は私的には前向きな「さよなら」に感じる。なんか、「さよなら」ってネガティブな側面だけじゃなくて、ポジティブに捉えることも出来るよね。と言われている感じがする。
でもこれは、投げやりな感じにも聞えるし、悲しい・辛いけど、むりやり前向きに捉えようとしている感じにも聞えたりもして、より「さよなら」の悲しさを助長している感じにも聞こえることもあって、「ソラニン」を聴いている時の自分の心情や環境によって感じ方が変わってきたりもするから不思議だ。
この歌詞と、ごっちの声やメロディも重なり、何とも言えない気持ちになるのだ。
途中の歌詞(Aメロ?)
昔 住んでた小さな部屋は
今は他人が住んでんだ
君に言われた ひどい言葉も
無駄な気がした毎日も
あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ
ここの歌詞は、まぁ普通に感じ取れば、些細なことも今思うと幸せだったよね。という感じかなと思う。当時10代だった私は、あまりこの感覚はわからなかった。わかるけど、共感は出来なかったって感じかな。
でも今大人になってやっと色々思うことがあるなぁ。今でもそうだが、やはり今ある現状の幸せを感じとれるってなかなか難しい。。。歌詞にあるように、今こうしてるのって意味あるの?とか、こんなに何にもしてなくて大丈夫か?とか思う時もある。でも、ふと振り返った時に、そんな些細な事を思い出して、そうやって思っていたことも必要だったんだとか、こんなこともあったな~なんて幸せを感じたりする。みたいな感じだと思っている。
この歳になると、なんだか過去のそうゆう思い出がすごくキラキラして見えることがあるんだよなぁ~。この時こうしていればっている後悔が今出てきたりとか。色々思ったりすることがあるんだよなぁ。
サビは、
たとえばゆるい幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ
ここは正直一番よくわからない。当時はもっとよくわからなかった。今この歌詞を見て感じるのは、「ゆるい幸せがだらっと続いた」状況は、私だったら不安になる。いいのかこれで?こんな感じの幸せでいいのか?とか、もっと大きな幸せを求めたいとか、その時はゆるすぎて幸せだと感じれていなくて、もっと何かしなきゃ!と思っていたりだとか。そういった焦りや変化を求めることが「悪い種が芽をだして」かなと解釈していて、そして何か変わろうとする。この「ゆるい幸せ」から良い意味でも悪い意味でも抜け出そうとする。それが「さよならなんだ」って意味かなって。
そして次の歌詞(Bメロというのか?ちがう?)
寒い冬の冷えた缶コーヒーと
虹色の長いマフラーと
小走りで路地裏を抜けて
思い出してみる
ここは、本当にささいな幸せの風景を描いているのかなって。「寒い冬の冷えた缶コーヒー」だけだと、なんだか寂しいような感じがするのに、その後の「虹色の長いマフラー」ですごく温かい感じがあるんだよなぁ。対比がすごいなぁって思う。
簡単に言えば、「寒い冬のマフラー」だと思うんだが、寒い冬に冷えた缶コーヒーがくることでより寒い感じがするし、マフラーに虹色と長いがくることでより暖かい感じがする。
そのあとの小走りってのが、少しだけ急いだり焦っている感じがある。そんな些細な幸せから抜けたのかなって。抜け出してみてから、あっと気づいたかのように思い出したのかなって。
この後はまたサビがきて終了だ。
こんな風に歌詞について何か考えたことがあまり無いので、長くなってしまったし、言いたいことがまとまっていない感じはあるが・・・。解釈は人それぞれだし、自分の置かれている環境によっても、感じ方が時々で変わってくるから、やっぱり言葉って面白いよね。
ではまた。
うつ病になった話3 〜完璧主義な私〜
うつ病になる約1年前から私は一人暮らしを始めた。
職場と実家が遠かったわけでもない。むしろ実家の方が職場に近かった。親に、もうそろそろ家出たら?なんて言われたわけでもない。
ただ、自分的に「20代半ばだし、一人暮らしくらい出来ないと大人としてダメだ」そう思っていたからである。
これは誰に言われたわけでも無い。自分が思っていただけだ。
なので、私は20代半ばに一人暮らしを始めた。
有言実行しないと気が済まないタイプである。というか、言ったくせにやらないなんでダメな人間だ。と思っていた。
一人暮らしをした理由があんな感じだったので、一人暮らしをしたからといって「私は自由だー!」とならなかった。
毎朝お弁当を作った。夕食もよっぽど残業で遅くならなければ毎日作った。掃除は、場所ごとに掃除のペースを決めて、それ通りに行った。
まぁタイトル通りの完璧主義である。
これを言うと、みんなから「凄いねー!偉いねー!」と言われる。
それで、「ふふん、偉いでしょ〜!」と思えれば少しは楽だったのかもしれない。
しかし私は、「いやこれが普通だし」と思っていた。
むしろ、疲れていて自分で決めた掃除が出来なかった時や、寝坊してお弁当を作らなかった時、それはそれはかなりの罪悪感に襲われた数日凹んだ。
「自分で一人暮らししたいと言って家を出たのに、ちゃんと一人暮らし出来ていないなんて親にどんな顔して会えばいいかわからない。私はダメ人間だ。こんなこともできないなんて」と。
必要以上に自分を責めた。
そして、そんなことを思ってるもんだから、実家は一人暮らししてた家から近かったのに、全く実家に帰らなかった。
「実家に帰ったら、こんな数ヶ月しかもたなかったのって思われる。大人なんだから、親に甘えちゃダメだ」と思っていた。
休みの日も全て家事にあてた。仕事が毎日9時〜21時くらいあったので、仕事がある日は家事があまり出来ない。なので、休みの日に作り置きをしたり掃除をしていた。
そんな私は休みの日も仕事をしている精神状態になっていた。
こんな感じの生活を約2ヶ月くらい過ごした私は、情緒がおかしくなった。
・意味もわからず泣く
・不眠症→過眠症の繰り返し
・日中は、毎日が二日酔いか?というくらい頭がガンガン痛くて、ぼーっとする。
これでもなんとか生活していたが、
4〜5ヶ月目頃に風邪を引き、長引いて副鼻腔炎と咽頭炎になり、これも長引いたが、やっと治ったと思ったら、ウイルス性の胃腸炎になって39℃の熱と下痢と吐き気で完全にバタンキューになった。
ここで初めて母に連絡した。自力で動けなかった私を病院まで連れて行ってくれた。しかし、薬を貰ってからは、こんな状態でも一人でなんとかご飯作って食べて治した。
自分がしんどいことよりも、仕事を休んでいることに対しての罪悪感がすごかった。その時上司も少し体調を崩していて、「私もしんどいんやけど」と言われているのだろうかとかも思っていた。
この時は「うつ病」にはなっていない。
今考えれば、なる寸前だったのかもしれないが、自分自身の優先順位はかなり低く、何も考えてはいなかった。目先の、一人暮らしをすること、仕事に行くことだけでいっぱいいっぱいだった。自分について何も考えられていなかった。
でも、今思えば、突然「うつ病」を発症したとかではなく、こういった積み重ねが積もりに積もったのだろうな~と思う。
これは、今だからそう考えれるのであって、その時は考えられていない。
ではまた。