私の感情

元うつ病の浪費家が、ミニマリストを目指す物語。思考や感情がメイン。

感情日記9 〜思考〜

思考が世界の全てだ。

自分の思考によって、自分の世界の見え方が変わる。しんどいと思えば世界はしんどい。楽しいと思えば世界は楽しい。

それは当たり前の事だし、当たり前すぎて何?って感じかもしれない。

 

でも、私はその当たり前の事を全て環境や人のせいにしてた。

 

今私がしんどいのはこの環境のせい。悲しいのはこの人のせい。と。

 

違う。全て自分の考え方次第だ。

 

で、この考え方を変えたらハッピーになれる。

しかしそんな簡単な事ではない。今まで無意識にそう思ってきた事をすぐには変えれない。

 

そうやって、変えれないと自分に言い聞かせてまた自分の殻に籠るのだ。結局変わりたいくせに、いや変わらないからと言ってるのは自分だけだ。

 

このループから抜け出さなければならない。

 

さてどうしようかとまた思考が始まる

 

 

ではまた。

 

 

 

感情日記8 ~感情と体は意味不明~

私は自分の感情がわからない。そして、体の症状として出てから気づく。
まぁ主にはストレスだ。

ストレスの種類は沢山あるだろう。
自分のストレスは、ほぼ過緊張だ。まぁもちろん他にも沢山あるだろうが。

オンオフの切り替えが基本出来ない。

まじめで完璧主義な人はそうというが、自分でこんなことを言うのはあれだが、多分当てはまっている。

 

そのくせ、自分の能力は限られている。自分の能力より高いものを求められると、それをやり切ろうとして、というかやり切るのだが、自分が思ってたよりもかなり疲れてしまっている。なのに、日々休まず過ごすから、突然バタンキューとなってしまう。

でも、やっている時はやれてしまうのだ。疲れていることに気が付かない。やり終わってから、あれ?なんか体が動かない。体調が悪い。。。となる。

だが、その時にはしんどい仕事は終わっているので、なんで体調が悪いのかわからない。だから、いつまでも改善しないのだ。

 

この理屈に気づいているのだから、事前に予防できるだろうと思うだろう。私もそう思ってた。

だが、未だに出来ない。

なんで出来ないのかもわからない。

 

つまりは、やはり休んでいるつもりでも休めていないのだ。

 

1日休みで、なんの予定も入れない日を作ったとしても、「何にも予定が無いのだから、ちゃんと家事をしないと」「何も予定が無いのに、何にも実のあることが出来なかった・・・」「読みたい本や、勉強したいことがあったのに」「せっかくの休みなのに・・・」「だらだらしただけだった・・・」

 

などと様々なことを考えてしまい、結局休みなのに疲れてしまっている。それに気づいた私は、「休みの日何もないと、余計なことを考えてしまう。そうならないために、休みの日は有意義な予定を入れるべきだ!」となった。

 

私の仕事は週1日しか休みが無いのだが、その1日に予定を全て詰め込むということをした。

 

それはそれでよかった。上記のような「私は無駄な日を過ごしてしまった・・・」という罪悪感に襲われないし、「有意義に休みを過ごせてる!」と思える。

しかし、それが続くと疲れは溜まり、結局体調不良になるのだった。

 

つまりは、バランスが大事だということ。

 

よく言うよね?バランスって。

 

そのバランスを教えてくれよ!バランスは人それぞれだって?じゃあもうわかんねぇよ!!!

 

というわけで、結局振り出しに戻るというわけだ。

 

3ヶ月忙しくても大丈夫な時もある。でも1週間でバタンキューな時もある。

本当にわかんない。

多分その1週間は自分にとって3ヶ月分くらいのストレスがかかったんだろう。

 

私は常々、乙女ゲーム(やったことはないが)のストレス値みたいなものが現実にも出てくれたらいいのにと思っている。

数値として出てくれたら、私だってちゃんと休む。休んだらパラメーターが下がるようにわかりやすければいいのに・・・。

 

このように、いろんな感情や思考が頭の中でうごうごしているが、私は表に出さない。というか出ない。

こんなものがいちいち表に出ていたら、仕事なんて出来ないだろう。

というか、どちらかというと私は無表情な方だ。全てを抑え込んでしまう。

 

小学校の時、しんどいのにそれを先生に言えず、そしてしんどくても普通に学校生活を過ごせてしまい、帰ったら熱が39度あったことがある。

親からは、なんですぐに保健室に行かなかったの!と怒られたが、昔からそうゆう人間だった。

体調が悪くても、平気な顔で仕事が出来てしまうし、そんな感じだから、周りの人も私が体調が悪いなんて気づかない。だから、心配もされない。

体調もそうだが、感情もそう。

 

自分の感情を表に出さないことに関しては慣れている。慣れすぎて、今まで自分の感情に気づかなかった。うつ病になる前は、私はストレスなんか無い人間だと本気で思っていた。だって、辛いとかしんどいとか思っていないんだもん。と。
これくらいしんどいのは皆やっている、普通でしょ?じゃあしんどく無いよね?と。

これを未だに他人に押し付ける節があるので、本当に直していかないといけないと思っている。

ただ、ずっとこの感じでやってきた自分には、直さないといけないと分かってはいても、なかなか難しい。そして、直さなきゃ!ということもまたストレスになってしまい、苦しく悶えてしまうのだ。

 

結局、わからないままだが、それでも私は少しずつ前進していると思いたい。何年かかろうが、いつかふっとクリアになる日が来ると信じている。

 

ではまた。

 

 

俳句には色んなマナーがあるみたいね

まだまだ知らないことだらけ。勉強中です。

でも勉強したらしたで、固定観念が生まれて自由度が無くなってしまうのも嫌だなぁ。

 

雷よ どうしてそんなに 泣いてるの

 

トナカイの 角に花咲く 避寒地へ

 

雨上がり 晴れ間にそっと 手を伸ばす

 

枯れた花 放置する時 空虚なり

 

波の形 みたいなノートの 開きかな

 

本の帯 いつもペラペラ でも取らない

 

何もない たまにの休み 許せない

 

理由なく 仕事を休み 壁を見る

 

よく喋る 人は何だか 言葉好き

 

一人飯 本当は貴方と 食べたくて

 

貴方の香 愛しているけど 嫌いといい

 

水つけて 音立てず破く 袋とじ

 

 

ミニマリストへの道1 〜浪費家な私〜

私は物心ついた時から浪費家だった。

子どもの頃、私の家は月々にいくら貰うというお小遣いせいだったが、お小遣いを貰い始めた時くらいから浪費家だったと思う。

なぜそう思うかというと、月々のおこづかいを毎回ちゃーんと使い切ってたからだ。貯金というものが出来たことがない。お年玉を貰っても全てちゃんと使い切っていた。

バイトを始めてもそうだ。もちろん、今までより使えるお金は格段に増えた。それと伴い欲しい物もどんどん増えていって留まることを知らない。欲しいものが増えれば、バイトを増やしてお金を増やせばいいという考え方だった。お金が無いから我慢するという考えは無かった。

 

そして、社会人になってからはもう大変だ。最初のことは実家暮らしだったので、もちろん家にお金は毎月入れていたが、でもほとんどが自分の為に使えた。今でも何に使っていたかは覚えていないが、本当に全て使い切っていた。母にも心配されるくらいだった。

そしてやばいなと思ったのが、お金を持っていると「不安」だと思うことだ。

お金を使うことに「安心」を覚えた。通帳の残高にお金があると、やばい、使わないと!と思ってしまうのだ。

まぁ物欲も凄かったので、ずっと何か欲しい物があって、それを買わないと気が済まないというのもあった。
元々、「欲しい物に対して」我慢が出来なかった。親に甘やかされて生きてきたので、欲しい物は大体買ってくれた。それが原因だったのか、欲しい物があると、「我慢」という選択肢は無く、「買う」という選択肢しか頭に無かった。

買い物でストレスを発散するタイプだった。多分、普段色んな事に対して我慢をしている。だからなのか、買い物で我慢せず好きなものを買って、そのストレスを発散していたのだろう。

 

しかし、一人暮らしをし始めて、そうはいかなくなった。そりゃそう。
欲しい物を我慢しないといけなくなった。そうなると、買い物以外でストレスの発散方法がわからない私は病んだ。もう、わかりやすく病んだ。まぁ他にも病んだ理由はあるのだが(この話はまた別で書こうと思う)、でもまだ今よりはマシだ。一人身だから、お金がピンチでも自分だけの問題だ。あと、その時の仕事はまぁまぁの給料をもらっていたので、自由に使えるお金もあるのはあった。

 

今現在、結婚したらそうはいかない。それプラス転職して給料がガクンと下がったのもある(結婚したからといって、普通に正社員です。勤務時間が減ったとかでも無い)。家を買ったのでローンの支払い、2人分の生活費、引っ越し代や家具の購入、今後結婚式等をするための貯金等・・・。まぁ、金が要る。

本当にみんなどうやってんの?ってくらいお金が必要だし、常にお金が無い。

 

そこで、本格的に「欲しい物を我慢しないと・・・」と思った。気づくの遅い(笑)遅すぎる(笑)

しかし、それ以外でのストレス発散方法が無い私は、ただただ欲しい物を我慢するだけで、ストレスが溜まる一方で、イライラしてばかりだった。

悩んでいたが、解決する方法がわからず、モヤモヤする日々がかなり続いた。

 

そんな中、西加奈子さんの「サラバ!」を読んだ。もちろん、ミニマリストとは全く関係なく、元々その本は買っていて、「そろそろ読まないとな~」と思ってなんとなく読んだ。

そこで、ある言葉が出てくる。
「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」

 

この言葉は、「サラバ!」ではとても重要になってくる言葉で、とても有名だ。
この言葉は、今の自分にわかりやすく響いた。

 

「自分の信じるものがわかっていないので、自分が本当に欲しいものがわからず、色んなものを買って自分を満足させているのかもしれない。」

そう思った。なぜかそこに繋がった。

「そうか、自分が本当に欲しいもの、大切にしたい物を知っていかないと」という気持ちになり、ミニマリストを目指そう!そう思ったのだ。

 

それを旦那に告げると、「じゃあ、お金は全て俺が管理するわ。欲しいものがあったら、買う前に俺に全部言って。買っていいか一緒に考えよう」となった。

「えぇ~・・・、そこまでする?しんどいんだが・・・。」と思ったが、旦那も私の浪費ぶりを身近で長年見てきたため、そこまでしないと本当に変われないと思ったのだろう。そして、今後一緒に暮らしていくなかで、私がこのままだと将来がかなり不安だったみたい。(笑)

こんな歳になって、自分のお金を管理されるのはとても屈辱だが・・・。(笑)
仕方ない。身の丈にあった生活をできない自分のせいである。

 

そして、私は「本当に欲しいものしか買わない」のと「いらない・使っていないものは捨てる」ことを意識して、日々過ごしている。

旦那の目的は、私が節度を守ってお金を使えるようになることで、最終的にお金をきちんと貯めて、将来安心して暮らせることだと思う。

もちろん、私もそうなればいいと思っている。

しかし、私の一番の目的は、そのことを通して、「自分が大切にしているもの」を見つけること。そして、「今に感謝する」ということだ。

 

ではまた。

 

 

 

 

俳句か川柳どちらかだと思う

自分の気持ちが沈んでいる時や、感覚が敏感になっている時にしかこうゆうのを作ろうという気分になれないので、基本的に暗くなってしまう・・・。

もっと美しい俳句が作りたいなぁ~

 

 

天の川 今まで一度も 見たことない

 

織姫と 彦星出会い 即解散

 

 

月明かり 何故かざわめく 心の臓

 

白煙の 匂いおもいて 涙する

 

着飾った 姿は貴方に どう映る

 

苦しさと 寂しさ胸に 今日もゆく

 

なにもない ただ1日が 過ぎてゆく

 

無感情 そう思いたくて 無表情

 

話し声 心の中で 会話して

 

ノートとペン それがあれば 我無敵

 

気にしすぎ そんなの知ってる 無理難題

 

線香の 灰が落ちてく 心かな

 

ただ一つ 苦しみたくない そう願う

 

本当は 優しいんでしょと 知らんぷり

 

部活の音 仕事終わりに 思い出す

 

会いたくて 本当の君は どこに居る

 

梅雨寒よ 私の心 消してくれ

 

日焼け止め わざと塗らずに そんな日も

 

夜の街 今はすっかり 昼のまま

 

部屋暗く ひとりぼっちと 気づいたか

 

感情日記7 ~HSPの話~

私は多分HSPという部類に入るのだろう。

HSPとは簡単にいうと「繊細すぎる人」だ。私が「繊細すぎる」のかどうかは正直わからない。なぜなら私はそれが「普通」だからだ。しかし、身近な人からHSPだと言われるので、そうかもしれない。

HSPの人に対して、私はなんとも思わない。

ただ、初対面やあまり関係性が無いのに、「私HSPだから~」と言って来る人は苦手だ。というか正直嫌いだ。SNSなどでHSPを公言している人も苦手だ。
有名な人がHSPであることを公言することは良いと思う。「こんなに有名な人もHSPなんだ!私もHSPだから元気づけられる!」という場合もあると思うからだ。

しかし、私たちがHSPを公言するのは、「私HSPだから繊細なんです!」というアピールにどうしても見えてしまう。そうじゃ無いのなら申し訳無い。これは私自身がHSPだからこそ気にしてしまうのかもしれないが。

私はHSPであることを知っていほしいと思わない。もちろん、家族や親友であれば知ってもらうことは大事だと思う。そんなに深い関係の無い人にHSPであることを知らせる必要はあるのか?何かメリットがある?ないよね?じゃあただの自分のアピールだけだよね?と思ってしまうのだが、これは私が卑屈なだけなんだろうか・・・。

一番初めに初対面でHSPだと言われたのは、結婚相手の両親に初めて挨拶した時だ。
まさか過ぎるが、結婚相手の父親に「俺HSPだから」と言われた。

その瞬間、「この父親無理」と思った。もちろんその場ではちゃんと対応したけどね。

卑屈は私は、これはなんかのマウントか?俺は繊細だから、丁寧に扱えよということか?というか、初対面&あんたの息子の結婚相手に言うか普通?そんな心遣いも出来ない奴本当にHSPか?と思った。

もし、初対面なのにもう家族と同じくらいだと思ってくれて、告白してみた。とかなら申し訳ない。だが、そんな感じには見えなかったし、「ザ・亭主関白」といった父親だった。

結婚相手の父親にこんなこと思いたく無かった。でも残念なことに私の苦手としている人だった。でもまぁこれは仕方が無い。これから、この父親とは最低限の付き合いしかしないでおこうと心に誓った。

 

友達にSNSHSPを発信している人がいる。綺麗な風景とかを載せて、HSPな私を長々と書いている。自分の写真も載せたりしている。

私はそんな人がHSPだとは思えない。
私であれば、この写真載せたらイキってるって思われないかな?HSPっていうことで、何繊細アピっとんねんって思われないかな?自分単独の写真とか絶対無理。自分好きやなこいつって思われないかな?などと考えてしまい、何も出来ない。

もちろん、このようなことを克服して、私はHSPでいいんだ!私は私を受け入れていこう!そして、一人でも私と同じHSPの人の苦しみを皆に共有できたら!と思っているのかもしれない。いや、多分そうなのだろう。

それであれば、私はまだその境地には達していない。そしてそのような事をSNSで発信することによって、やめてくれ・・・そっとしてくれ・・・と思っているHSPも居る事を忘れないで欲しい。

 

まだまだミニマリストへの道は遠い・・・。

 

ではまた。

 

 

感情日記6 ~同僚の話~

私には苦手な同僚がいる。

誤解しないでほしいが、「嫌い」では無い。
自分とは考え方や性格が違うので、その人の起こす行動や会話があまり出来ないため、苦手なのである。

ただ、昔はそのような人を「嫌い」と決めつけてしまっていたので、私も少しは成長したのではないかと思う。

この人は自分と違うだけ。この人はこの人の価値観や考え方がある。私の価値観が皆と同じなわけない。私とは合わないだけだと。

このような考え方になったのが、結婚したことが大きかった。
私の結婚相手は自分とは真逆の人間であり、これを受け入れるのに相当な時間を要した。というか今でも、新たな発見も多々ある。こんなに理解できない人間も存在するのかということを身近で目の当たりにしたことが大きい。

 

私は多分人より、「気にしすぎる」「考えすぎる」性格である。

これは、今まで散々人から言われたからそう思うのであり、自分ではこれが普通なので、逆になんでこれが気にならないの?なんでもっと考えないの?と思ってしまう。

 

前置きが長くなったが、そのような性格の私は、仕事において一番身近な存在の同僚の行動や会話が「気になりすぎる」のである。

しかし、立場としては「同期」にあたるが、私は中途で入ったため、年齢は私より下である。そのような立場なので、妙に注意しにくい存在であり、またその人自身の作り出す雰囲気も注意しにくい感じの人なのである。要するに「扱いづらい」。ただ、一緒に仕事をすることが多々あり、席も隣なので、気にせずとも無意識で気になってしまう。

 

昨日、知っている人もいれば知らない人もいるというようなメンバーで仕事をすることになった。まぁ昨今話題のワクチン職域接種だ。
私の職場でも職域接種を行う。その為毎日違うメンバーとその業務にあたっている。といっても今週から始まったばかりであり、私は初めてその業務に当たるのだった。その日のメンバーの中で、この業務の経験があるのが「同僚」だけだった。あとは皆私と同じく初めてだった。

その場合どうする?私であれば、こここうやった方がやりやすいですよ~とか、これ伝えに行ってきますねなど、率先して指示するだろう。
しかし、その人は何も言わない。というかこちらからの指示を待っている感じだ。いやいや、むしろこっちはわからないのに、私に聞かれてもわからんよ?むしろ教えてくれなきゃ。

また、これって誰に伝えたらいいの?って聞くと、〇〇に居る人に伝えたらいいよ。って言われて、〇〇ってどこ?と聞くと、ここからこう行ってこう。と道を教えるだけだ。そんなに今業務忙しくないんだから、「じゃあ一緒に行こう」とか、「私が伝えてくるよ」とか言わない。「聞かれたことだけを言うだけ。」聞かれたことに対して、その人がどうゆう意図で聞いているのか、その人はこうしてほしいのかな等の、言葉の裏側にある気持ちを全く読み取らないのだ。まぁ簡単に言うと「空気が読めない」。

また、その日の業務が終了したが、明日の人に引き継ぐ事項があり、その事について皆で話し合っていた。そしたら、そのメンバーの一人が、「私、明日もこの業務担当なので、覚えてきますね!」と言ってくれた。それで、じゃあよろしくね~となり解散した。
自分のデスクに帰ってきて、その「同僚」が、その周りの人と、今日の職域接種業務の話しているのが聞こえてきて、「同僚」が「引き継ぐことがあったんですけど、私明日も業務担当なので、大丈夫です~」と言っていた。
え?明日当たっているの?じゃあ、なんでその業務中に他の人が「私、明日の業務なので~」と言った時に、「あ、私も入っているので~」みたいに言わなかった?私は関係ないみたいな顔してたけど?その人に引き継ぐこと全部伝えたよね?その時あなたどう思ってたの?普通、私も明日入ってるから一緒に覚えておこうね!という気持ちにならない?いや、心の中ではなってるのか?え、良くわからん!

という感じに思ってしまう。
本当に些細なことだ。これで、何か大きなミスがあるとかそういうことでは無い。
多分これを誰かに言うと、「考えすぎ」「気にしすぎ」と言われるのかもしれない。だが、気になることは気になる。仕方がない。

 

次に、その「同僚」に彼氏が出来た時の話。
その彼氏を選んだ理由を聞いていた時に、1つの理由として「同僚」が、「家も近かったから、いいかな~と思った」と言った。
私は「どこらへんなの?電車が同じ沿線とか?」と聞いたら、「同僚」が、「いや、そこまで近いとかでは無いけど、関東ではないねん」と言った。(私は関西に住んでます)

また私はえ?となった。いや、うん。「家近い」って言われて、「関東」やとは思わんよ。「関西」と思うよ。その中でも同じ市内とか電車で行きやすいとかそういうことかと思うやん?まさかそこで、「関東ではない」って言葉が出てくるとは思わんよ。びっくりしてる・・・。って感じだった。

まぁでもこれは私の感覚であって、「関東ではない」だけで、その「同僚」は「家が近い」と思うのかもしれない。

 

そのような価値観のズレが大いにあり、私はその同僚が苦手なのである。
そして、その同僚と毎日顔を合わせて、一緒に仕事をしていくことはやはり「しんどい」と思ってしまう。まぁ「同僚」も同じことを思っているかもしれないが。

 

 

ではまた。